「今日の出来事」の記事一覧

 現在も日本一の足袋生産地として、日本遺産に登録されている行田市ですが、この足袋産業を陰で支えていた産業を調べると、埼玉地区にも数多くあることがわかりました。
 まずは、以前も紹介した綿花栽培です。足袋の布地となる綿花が、当時、この埼玉の地でも広く栽培されていました。続いて、畳屋奈良漬け屋があります。どんな関係があるのか少し不思議にも思われますが、足袋屋にとって、足袋を試着するための畳敷きは、店舗の看板ともなるそうです。ですから、毎年、畳替えの注文が殺到していたそうです。
 また、足袋の販路が地方都市にまで拡大する中で、行田の名産として知られる奈良漬けが、顧客へのお歳暮として欠かせないものだったそうです。
 毎年、2年生の町たんけんでお世話になっている畳屋さんや奈良漬け屋さんが、行田の足袋産業を支えていたことを子供たちにも伝えていきたいと感じました。

 

 埼玉地区を巡っていると小さなお社も含めて、神社仏閣が非常に多いことに驚きます。そして、調べると、そこでは、旧村落単位で様々なお祭りを行っていたことがわかりました。
 まず、埼玉地区の多くで行われていたのが、「百万遍」です。(上埼玉、下埼玉、冨士山、杉原、片原)で行っていた記録が見つかりました。この行事は、「悪疫退散」などを祈り、大きな数珠をもって、地区内を廻って歩くお祭りです。地区によって、山車が出たり、子供が担ぎ手になったりと特色も様々です。他にも、百塚地区や渡柳地区で行われていた「お獅子様」や野地区の上手、谷端、原で行われていた「トビオケ」がありました。悪疫退散などの込められた願いは同様ですが、獅子頭を持って、地区内を廻るお祭りです。
 現在は、行われていない地区も多いようですが、旧村落では、これらのお祭りを通して、地域の絆を深めていたのだと思います。

「↓百万遍の数珠(左)安楽寺の獅子頭(中央)谷端のトビオケ(右)」(行田市史 行田市の民族より転載)

 

 8月23日(土)は厳しい暑さが予想されたため、開始時間を少し早めて除草作業を行いました。多くの保護者の皆様にご協力いただき、熱中症に気を付けながら、安全に作業を進めることができました。6年生の子供たちも大活躍し、短時間ながら花壇や校庭の周囲が見違えるほどきれいになりました。おかげさまで、2学期を晴れやかな環境で迎えることができます。ご協力、本当にありがとうございました。

 以前紹介した「埼玉音頭」と同様に、校長室の壁には、「埼玉歌」の楽譜が飾られています。この「埼玉歌」が歌われていたのは、埼玉小学校が、埼玉尋常高等小学校・埼玉国民学校と呼ばれていた戦前にまで遡ります。当時の生徒の回顧談によると、終戦頃までは、朝礼の終わりなどに歌っていたそうです。
 歌詞のもととなっているのは、「小埼の沼」を詠んだ「万葉歌」です。「埼玉の 小埼の沼に 鴨ぞ翼きる 己が尾に 零り置ける霜を 掃ふとにあらし(さきたまの をさきのぬまに かもぞはねきる おのがおに ふりおけるしもを はらうとにあらし」(万葉集9巻‐1744)
 作曲者は、当時の校長であった加相誠一先生(在職:昭和14年~昭和22年)です。
 「小崎の沼」は、現在の埼玉小校歌の中でも歌われていますが、戦前から当時の子供たちに詠われていたかと思うと、埼玉地区の人々の深い想いを感じます。復刻した旋律をどこかで現在の子供たちにも紹介したいと思います。

埼玉歌(復刻).mp3

 「野のささら獅子舞」は野地区に伝わる民俗芸能で、毎年10月第3日曜日に、五穀豊穣、疫病退散、天下泰平、家内安全を祈願して、久伊豆神社諏訪神社聖天様(満願寺)氷川神社などに奉納されています。起源については不詳ですが、言い伝えでは約300年位前から始まったと言われ、平成21年には、行田市の無形民俗文化財に指定されています。
  行田市内には、他にも5つの地区(下中条・長野・若小玉・馬見塚・在家)で、ささら獅子舞が伝承されています。1人で1頭の獅子に扮し、3頭が1組になる「3匹獅子」の形で演舞します。「ささら」とは、摺り簓とよばれる楽器のことで、野地区では、この楽器を使って演舞しています。
 平成28年には、埼玉小に保存会の方々をお招きし、子供たちの前でも演舞を披露していただいています。また、「ささら獅子舞」は、行田市の「郷土かるた」にも紹介され、行田市を代表する歴史や文化の一つとして、大切に受け継がれています。
参考:行田市公式HP(野の獅子舞)YouTubu動画(行田市の獅子舞)

 

 各学年の後期用教科書が届きました。「まだ使わないのに、なぜ配るの?」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、転出入などによる給与ミスを防ぐため、ほとんどの学校で、9月に入ってすぐ一括で配布しています。配布後すぐに使用するわけではありませんが、早めに目を通しておくことで、学習への心構えや興味・関心につながる可能性があります。ご家庭でも記名や乱丁・落丁の有無をご確認いただき、使用開始まで大切に保管していただきますようお願いいたします。

 

 野地区にある満願寺の境内には、シダレザクラ、サトザクラのほか、仙台シダレザクラやツバキなどの花木がたくさん植えられており、東国花の寺百ヶ寺となっています。その中で最大のものが、本堂の左裏手にあるシダレザクラで、「満願寺のしだれ桜」と言われる樹齢約600年の古木です。
 このシダレザクラは、平成19年に行田市指定の天然記念物となっています。樹形は傾斜しており、主幹が2本に分かれ、直立している1本は地上4メートルで折れていますが、毎年見事な花を咲かせています。
 また、このシダレザクラは、天保6年(1835年)に増補された『増補忍名所図会(おしめいしょずえ)』に「広前に大木の垂桜あり、垂縁長くして花の頃は優艶なり」と記されている歴史的にも貴重な古木です。春になったら、また花見に出かけたいと思います。
参考:行田市公式HP「満願寺のシダレザクラ」

『↓「満願寺』(行田市野744)」

 お盆が過ぎ、厳しい暑さがまだまだ続いています。久しぶりの出勤に、夏の疲れを感じている方もいらっしゃるかもしれません。夏休みも残り2週間となり、「やり残したことがあるな…」と気持ちが沈みがちですが、見方を変えれば、まだ2週間も夏を楽しむ時間があります。子供たちには、夏の思い出をもうひとつ増やしながら、新学期に向けて充実した日々を過ごしてほしいと思います。保護者の皆様には、引き続き、熱中症や事故などに十分ご注意いただき、体調管理にもご協力をお願いいたします。

 本日、8月15日は「終戦の日」です。 1945年(昭和20年)8月15日、日本が無条件降伏をしたことで、第二次世界大戦が終結しました。 戦争が終わった日として「終戦記念日」、追悼と平和への意志を込めて「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とも呼ばれています 。この終戦が宣言された直前の夜、熊谷市に埼玉県内最大となる大空襲がありました。「熊谷大空襲」は、日本最後の空襲の一つとされています。
 この空襲は、近隣で起こった空襲なのではなく、行田市内、埼玉地区でも多数の死傷者が出ています。戦争を自分事としてとらえ、平和への意志を改めて確かなものとするために、80年前の今日、埼玉地区で起こった出来事を調べてみました。

 爆撃による被害は、昭和20年(1945)2月21日大字野の地内に爆弾1個が投下され、家屋2戸全焼。死者9名を出した。[同]年8月14日熊谷市の大空襲の際、焼夷弾によって棚田で15戸、門井で13戸全焼、死者3名を出し、下忍で5戸、持田で6戸、忍で6戸を全焼した。前夜投下された焼夷弾に触れて15日朝埼玉で死者5名、負傷者5名を出した。(『行田市史 下巻』)

 校長室の壁には、「埼玉音頭」の楽譜が掲示されています。これは、郷土の歴史が滅びることを憂いた地域の方によって、昭和26年(1951)に作られたものです。「埼玉音頭」は、昭和30年後半までは、祭りなどの行事で使われていましたが、現在では、埼玉小学校で細々と伝えられるのみになっています。また、コロナ禍前には、さきたま火祭りのステージで、埼玉小の子供たちが埼玉音頭を披露していましたが、規模の縮小により現在は途絶えています。今回、完全に忘れ去られることがないよう楽譜をもとに旋律を復刻してみました。

♪ 古き自慢の 埼玉小沼 遠い昔よ 入り江のみをに
通う白帆が 旭陽に映える さつさ 埼玉 昔から ソレ昔から ♪
(7番中1番のみ)埼玉音頭.mp3

 

広告
051971
埼玉県教職員MOTTO(モットー)

周辺学校のようす
ポータルでもっと見る