埼玉小では、「さきまる」と「たまひめ」がマスコットキャラクターとして、ながく子供たちに愛されてきました。その誕生を遡ると、今から14年前、平成22年(2010年)7月になります。実はこの時、「さきまる」だけが先に誕生しました。
当時、「さき」は埼玉の「さき」、「まる」は丸墓山の「まる」をとって、子供たちが命名しました。さらに、「さきまる」には、①先「さき」を見て行動していくこと(先見)。②目標をもって前「さき」に向かっていくこと(前進)。③自分を取り巻く人たちと和やかに「まる」く生活し、よりよい人間関係を築き、(絆)を深めていくこと。つまり、「先見・前進・絆」の願いを込めた象徴となっているそうです。
その後、平成27年(2015年)、新たに「たまひめ」が加わり、現在の「さきまる・たまひめ」となりました。どちらも、当時、埼玉中学校の美術の先生だった方がデザインしました。ちなみに、埼玉中学校や埼玉古墳のキャラクターもこの先生のデザインです。
「今日の出来事」の記事一覧
各学年の後期用教科書が届きました。後期用教科書は9月に入ってすぐに配布する学校がほとんどです。これは転出入等によって給与ミスが起こらないよう、配布時期をそろえているからです。教科書の費用は、国民の税金で賄われているからこそ、厳格な基準のもとで配布しています。子供たちに教科書を配布した後もすぐに使うことはありませんが、お家でも記名や乱丁等をご確認いただき、使用する時期まで大切に保管しておいてください。
現在の埼玉小校舎が建てられたのは、今から51年前の昭和48年(1973年)、ちょうど開校100周年の年でした。校舎新築にあたっては、地域の方々からの寄附も集まり、「国旗掲揚塔」や「旧校舎玄関前に遊ぶ児童の彫刻額」なども寄贈されました。また、開校100年を記念して、教職員、卒業生、在校生らによる「校舎落成記念文集」が発行されています。
子供たちの作文を読むと、大正時代から続く古い木造校舎を失いたくないといった想いや、新しい校舎に埼玉小の伝統を引継ぎ、素晴らしい学校にしていくという決意が感じ取れます。その新校舎も、多くの子供たちとの歴史を積み重ね、今では子供たちにとっても、地域にとってもかけがえのない存在となっています。
【 ↓「校舎落成記念文集」と「国旗掲揚塔」】
【 ↓ 職員玄関奥に飾られる「彫刻額」(髙橋幹治氏作)】
2年生のサツマイモ畑を見ると、サツマイモの葉が畑から溢れんばかりに生い茂っていました。サツマイモは、痩せた土地でも育ち、手間もあまりかからないので、とても育てやすい作物です。江戸時代に飢饉対策で育てられたり、戦時中には学校の校庭で育てられたりしたこともあるそうです。夏休み中、ほとんど世話をしていませんが、順調に成長しています。このままいけば、子供たちの喜ぶ顔が見られそうです。日頃から畑を見守ってくださっている地域の方々にも感謝するばかりです。ありがとうございます。
お盆が過ぎ、久しぶりの出勤です。夏休みも残り2週間となりました。この時期は、夏休みにやり残したことを考えると、だんだんと気持ちが落ち込んできます。しかし、気持ちを切り替えれば、まだ、2週間も時間があります。子供たちには、新学期に向けて、悔いの残らないよう充実した夏休みを過ごしてもらいたいと思います。保護者の皆様には、引き続き、事件や事故、体調管理等に気をつけていただきますようご協力をお願いいたします。
毎朝、正面玄関前で子供たちを出迎えるのが、二宮金次郎像(二宮尊徳像)です。この像は、昭和11年(1936年)に多くの人々の寄附金によって建立されました。当時は、銅像でしたが、戦時中の金属回収令により、昭和19年に供出され、その後、コンクリート像に作り直されました。
「戦時教育の名残だ」「子供に働かせたり、歩きながら本を読ませたりするのはおかしい」と言って、学校から二宮金次郎像が消える流れがあります。しかし、像に込められた当時の人々の思いや願い、二宮尊徳の思想や行いに目を向けると、そこには、見習うべきことが数多くあります。時代が変わっても、埼玉小では、勤労・勤勉のモデルとして、二宮尊徳の生き方を大切にしていきたいと思います。
『 ↓「報徳之碑」(昭和11年建立)』
金次郎像の裏手のツツジの植え込みにアシナガバチの巣を発見しました。先日も別の場所で発見・駆除をしたのですが、今回は、隣同士の植え込みで3個も発見しました。ハチに罪はないのですが、子供たちに危害が及ばないように駆除しました。夏休み中に発見できて幸いでした。アシナガバチの活動のピークは6月~8月とのことです。8月24日のPTA除草作業の際には、蜂の巣にも十分に気を付けながら作業を進めたいと思います。
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【アシナガバチを見かけたら】 |
埼玉小学校は、埼玉県名発祥の地にある小学校です。そのため、市外の方から埼玉(さきたま)小学校ではなく、埼玉(さいたま)小学校と間違って呼ばれることが、よくあります。今回は、埼玉の地名について調べてみました。『万葉集』では、この地のことが「前玉」や「佐吉多萬」と記されています。また、埼玉地内にある「前玉(さきたま)神社」は、別名「幸魂(さいわいのみたま)神社」と呼ばれ、927年に作られた『延喜式神名帳』には、「さきたま」と「さいたま」の2通りの読み方が記されています。この「幸魂」が「さいたま」に転じたとの説もあります。後に、前玉神社のあるこの地が「前玉郡」と呼ばれ、その後「埼玉郡」に漢字が変化し「埼玉県」へとつながります。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、「今土人は、郡をさい玉と唱え、村名をさき玉といへる」とあり、郡名と村名を区別していたことがわかります。埼玉県名が誕生した明治4年(1871)当時、古い読み方が採用されていたら、「さきたま県」となっていた可能性もあります。
『 ↓「埼玉県名発祥之碑」さきたま史跡の博物館敷地内(埼玉4834)』
今日は電気設備の点検・整備のため、午後から停電となりました。幸いなことに、連日の暑さが少しだけ和らいだタイミングだったので、救われました。ですが、電源がなくなると、クーラーや明かりだけでなく、水道や電話、コピー機や印刷機、冷蔵庫も使えなくなります。緊急災害時の対応を改めて考えさせられました。停電に合わせて、日直以外の職員は、ほとんど休みを取っています。いつも以上に静まり返った学校になりました。
校歌にも「 ♩二子 丸墓 歴史を語る ♪ 」とあるように、埼玉地区には、たくさんの古墳が残されています。ですが、数ある古墳の中から、なぜ、二子山古墳や丸墓山古墳なのでしょうか。国宝の金錯名鉄剣が出土した稲荷山古墳、横穴式石室が発掘され、内部に展示室もある将軍山古墳など、登ったり入ったりできるこれらの古墳の方が子供たちに馴染みがありそうです。
実は、校歌が創作された昭和34年当時は、まだ発掘が進んでいませんでした。ですから、旧武蔵国で最大の前方後円墳である二子山古墳が、埼玉古墳群の象徴だったのかもしれません。また、今後、二子山古墳の発掘が進めば、歴史的な大発見があるかもしれません。石田三成の忍城水攻めで有名な丸墓山と合わせて、校歌を聴くたびに、古代から戦国の歴史を感じます。
『 ↓「春の丸墓山古墳」(さきたま古墳公園内)』
校歌の2番は「 ♪ 小埼の沼を 渡る風~ ♩」から始まります。夏休みを利用して、歌詞に出てくる学区内の史跡を散策してみました。学校の東方1キロ弱のところに、万葉遺跡として有名な「小埼沼」があります。そこは、周囲に田畑が広がり、まるで古墳かのように盛り上がる雑木林の中でした。
中には、1753年に忍城主の阿部正允により建てられた石碑がありました。この地は、万葉集にも詠われた場所で、1961年(昭和36年)に「万葉遺跡・小埼沼」として埼玉県指定記念物に指定されています。
1300年以上も前に詠まれた和歌に触れ、当時の人々にとっても、埼玉の地が素晴らしい場所であったことがわかりました。子供たちにも、校歌を歌いながら、当時の情景を感じてもらいたいと思います。
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【万葉遺跡・小埼沼】←行田市HPより |
『 ↓ 「万葉遺跡・小埼沼」(埼玉2636-3)』