R7.8.15_埼玉小の歴史⑱(埼玉地区の空襲)
本日、8月15日は「終戦の日」です。 1945年(昭和20年)8月15日、日本が無条件降伏をしたことで、第二次世界大戦が終結しました。 戦争が終わった日として「終戦記念日」、追悼と平和への意志を込めて「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とも呼ばれています 。この終戦が宣言された直前の夜、熊谷市に埼玉県内最大となる大空襲がありました。「熊谷大空襲」は、日本最後の空襲の一つとされています。
この空襲は、近隣で起こった空襲なのではなく、行田市内、埼玉地区でも多数の死傷者が出ています。戦争を自分事としてとらえ、平和への意志を改めて確かなものとするために、80年前の今日、埼玉地区で起こった出来事を調べてみました。
爆撃による被害は、昭和20年(1945)2月21日大字野の地内に爆弾1個が投下され、家屋2戸全焼。死者9名を出した。[同]年8月14日熊谷市の大空襲の際、焼夷弾によって棚田で15戸、門井で13戸全焼、死者3名を出し、下忍で5戸、持田で6戸、忍で6戸を全焼した。前夜投下された焼夷弾に触れて15日朝埼玉で死者5名、負傷者5名を出した。(『行田市史 下巻』) |