学校ブログ

R7.8.18_お盆明けの学校

 お盆が過ぎ、厳しい暑さがまだまだ続いています。久しぶりの出勤に、夏の疲れを感じている方もいらっしゃるかもしれません。夏休みも残り2週間となり、「やり残したことがあるな…」と気持ちが沈みがちですが、見方を変えれば、まだ2週間も夏を楽しむ時間があります。子供たちには、夏の思い出をもうひとつ増やしながら、新学期に向けて充実した日々を過ごしてほしいと思います。保護者の皆様には、引き続き、熱中症や事故などに十分ご注意いただき、体調管理にもご協力をお願いいたします。

R7.8.15_埼玉小の歴史⑱(埼玉地区の空襲)

 本日、8月15日は「終戦の日」です。 1945年(昭和20年)8月15日、日本が無条件降伏をしたことで、第二次世界大戦が終結しました。 戦争が終わった日として「終戦記念日」、追悼と平和への意志を込めて「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とも呼ばれています 。この終戦が宣言された直前の夜、熊谷市に埼玉県内最大となる大空襲がありました。「熊谷大空襲」は、日本最後の空襲の一つとされています。
 この空襲は、近隣で起こった空襲なのではなく、行田市内、埼玉地区でも多数の死傷者が出ています。戦争を自分事としてとらえ、平和への意志を改めて確かなものとするために、80年前の今日、埼玉地区で起こった出来事を調べてみました。

 爆撃による被害は、昭和20年(1945)2月21日大字野の地内に爆弾1個が投下され、家屋2戸全焼。死者9名を出した。[同]年8月14日熊谷市の大空襲の際、焼夷弾によって棚田で15戸、門井で13戸全焼、死者3名を出し、下忍で5戸、持田で6戸、忍で6戸を全焼した。前夜投下された焼夷弾に触れて15日朝埼玉で死者5名、負傷者5名を出した。(『行田市史 下巻』)

R7.8.8_埼玉小の歴史⑰(さきたま音頭)

 校長室の壁には、「埼玉音頭」の楽譜が掲示されています。これは、郷土の歴史が滅びることを憂いた地域の方によって、昭和26年(1951)に作られたものです。「埼玉音頭」は、昭和30年後半までは、祭りなどの行事で使われていましたが、現在では、埼玉小学校で細々と伝えられるのみになっています。また、コロナ禍前には、さきたま火祭りのステージで、埼玉小の子供たちが埼玉音頭を披露していましたが、規模の縮小により現在は途絶えています。今回、完全に忘れ去られることがないよう楽譜をもとに旋律を復刻してみました。

♪ 古き自慢の 埼玉小沼 遠い昔よ 入り江のみをに
通う白帆が 旭陽に映える さつさ 埼玉 昔から ソレ昔から ♪
(7番中1番のみ)埼玉音頭.mp3

 

R7.8.7_学校設備の点検整備

 教育活動に支障がでにくい夏休み期間は、学校設備の工事や点検が相次ぎます。今日は電気設備の点検・整備のため、停電となりました。学童の子供たちの預かりもあるので、早朝から作業をしていただきました。浄化設備の点検整備中は、断水にもなります。学校設備の点検整備があるたびに、水や電気のありがたさを改めて感じます。

R7.8.6_連日の猛暑日

 いつもなら、夏休み中であっても、校庭は学童の子供たちの遊ぶ声で賑わっているところですが、連日の猛暑日で、校庭は静まりかえっています。一方、学校内の雑草たちも、元気をなくしているかと思いきや、真夏の強い日差しを栄養に変えているのか、葉の一枚一枚まで生き生きとしています。さらに、学校園のヘチマ棚を見ると、そのツルや葉は、雑草以上に生い茂っていました。雑草には困ったものですが、その生命力には見習うべきところがあります。