学校ブログ

R6.8.5_埼玉小の歴史⑤(小埼の沼)

 校歌の2番は「 ♪ 小埼の沼を 渡る風~ ♩」から始まります。夏休みを利用して、歌詞に出てくる学区内の史跡を散策してみました。学校の東方1キロ弱のところに、万葉遺跡として有名な「小埼沼」があります。そこは、周囲に田畑が広がり、まるで古墳かのように盛り上がる雑木林の中でした。
 中には、1753年に忍城主の阿部正允により建てられた石碑がありました。この地は、万葉集にも詠われた場所で、1961年(昭和36年)に「万葉遺跡・小埼沼」として埼玉県指定記念物に指定されています。
 1300年以上も前に詠まれた和歌に触れ、当時の人々にとっても、埼玉の地が素晴らしい場所であったことがわかりました。子供たちにも、校歌を歌いながら、当時の情景を感じてもらいたいと思います。

【万葉遺跡・小埼沼】←行田市HPより
「埼玉の 小埼の沼に 鴨ぞ翼きる 己が尾に 零り置ける霜を 掃ふとにあらし」(万葉集9巻‐1744)
「埼玉の 津に居る船の 風をいたみ 綱は絶ゆとも 言な絶えそね」(万葉集14巻‐3380)

『 ↓ 「万葉遺跡・小埼沼」(埼玉2636-3)

R6.8.3_「ふれあい学級」市内交流会

 8月3日(土)、ふれあい学級の市内交流会が実施されました。市内の小中学生が産業文化会館に集まり、バスで茨城県自然博物館へ見学に行きました。埼玉小からは、22名の子供たちが参加しました。他校の子供たちとも交流しながら、たくさんの展示物を見て回りました。太古からの自然を感じるくつろぎのひと時となりました。

R6.8.2_埼玉小の歴史④(校歌)

 「 ♪ はにわの笑い あどけなく~♩」で始まる埼玉小の校歌は、昭和39年(1964)、東京オリンピック記念事業として制定されました。さらに、オリンピック競技大会開催中の10月14日には、校歌の披露式も行われています。そして、校歌の作詞をされたのが、詩人・作詞家として有名な宮澤章二氏です。宮澤氏は、埼玉県羽生市の出身で、埼玉県内外の小・中・高校の校歌を300校以上作詞されています。『ジングルベル』の訳詞者としても知られています。
 ご存知の方も多いと思いますが、私の好きな宮澤章二氏の詩を紹介します。

 「心が生きることは」

心は見えないけれど 心づかいは見える
思いは見えないけれど 思いやりは見える
やさしい思いが やさしい行為になったとき
心ははじめて生きる
心が生きることは 人間が生きることだ

 埼玉小学校の校歌には、素晴らしい方々の思いがたくさん込められています。

『 ↓ 宮澤章二先生直筆の校歌額(校長室掲示)』

R6.8.1_小中合同学校保健委員会

 午前中、埼っ子ルームで小中合同の学校保健委員会を開催しました。上級健康睡眠指導士の先生をお招きし、「睡眠と健康について」のご講話をいただきました。忙しかったり、何かに夢中になったりすると、何となく健康に悪いとわかっていても、ついつい削ってしまうのが「睡眠」でした。これからは、もっと健康を意識して、睡眠時間だけでなく、睡眠の質を高める工夫もしていきたいと、改めて感じました。

 

R6.7.31_埼玉小の歴史③(校章)

 見慣れた埼玉小の校章も、調べるとたくさんのことが分かります。校章は、大正2年(1913)に新校舎の落成記念として創作されました。創作したのは、当時、埼玉小で明治40年~大正9年まで訓導(教諭)を務めていた川鍋佐一氏です。川鍋氏は、後に埼玉村の村長にもなっています。
 校章は、「三種の神器」である「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」「八咫鏡(やたのかがみ)」をかたどっています。周囲に「剣」と「勾玉」、中央に「鏡」、その中に埼玉の「埼」の字を入れています。
 埼玉小では、この「勾玉・鏡・剣」を学校教育目標など、学校教育の根底に位置づけています。

【学校教育目標】
○考える子 (勾玉)知性を磨き、共に学び合う
○助け合う子() 自己を見つめ豊かな心を育む
○やりぬく子() 健康でたくましい体を育 む

R6.7.30_埼玉小の歴史②(開校記念日)

 正門を入ってすぐ左側に大きな石碑があるのをご存知でしょうか。これは、大正2年(1913)、現在の埼玉小学校の地に新校舎が建てられた時の記念碑です。当時の埼玉小では、高等科が設置されることとなり、名称も「埼玉尋常高等小学校」と改称されました。700人を超える人数が通う小学校がこの地にできた瞬間でした。さらに、この年の11月15日に開校式が挙行され、この日が埼玉小学校の開校記念日となりました。正門前の石碑は開校記念碑とも言えると思います。

『 ↓「埼玉小学校建築紀年碑」(大正2年建立) 』

R6.7.29_埼玉小の歴史①(埼玉学校開校)& エアコンの故障

 夏休みを利用して埼玉小の歴史を紐解いてみました。明治6年(1873)4月2日、埼玉・渡柳・利田の三村が連合して「埼玉学校」を設置することになり、安楽寺を仮校舎としました。この日が開校151年の起算日となります。初代校長は、高木董平氏です。高木氏は、明治5年に埼玉村に移住し私学を設けており、これが埼玉学校に移行したものと思われます。当時、明治6年から明治20年まで校長職に就いており、数年で入れ替わる現在とはずいぶん異なります。児童数も当時は、男67名、女9名、合計76名でした。埼玉小の歴史を振り返ると、改めて歴史の重みを感じます。

『 ↓ 「安楽寺」(行田市埼玉4977)』

 午前11時頃、職員室のエアコンが止まってしまうとの報告が入りました。確認すると室外機が動かなくなっていました。電源を入れ直したり、再起動したりしても改善しなかったので修理を申請しました。気温が40℃にせまる危機的な状況でしたが、しばらくは換気と送風機で乗り切りました。復旧後、エアコンのありがたさを痛感しましたが、適度なハプニングは、少しだけテンションが上がります。

 

R6.7.26_指導案検討会 & 行田市教育研修大会

 午前中、校内研修として指導案検討会を行いました。9月に行われる学校訪問では、すべてのクラスで公開授業か研究授業を行います。今回は、研究授業者の2名の指導案の内容を2組に分かれて検討しました。夏休み期間であるからこそ、十分に時間をかけて授業準備をすることができます。全教職員で授業をつくり上げることで、一人一人の指導力向上につなげたいと考えています。

 午後からは、行田市教育文化センター「みらい」に、行田市内のすべての教職員が集まり「行田市教育研修大会」が開催されました。研修会では、国立特別支援教育総合研究所の先生から、「発達障害及びその可能性のある児童生徒の理解と支援」について、ご講演をいただきました。すべての子供たちが学びやすい授業について、視覚化や構造化、感情のコントロールの支援など、子供たちを理解し支援するための参考にしていきたいと思います。

R6.7.25_月桂樹の木の根元から… & 学校設備工事・点検

 夏休みの空き時間を利用して、少しずつ樹木の剪定をしています。新館前に植えられた月桂樹は、根元から大量の枝葉が出ている状態でした。大量の枝葉を刈り込んでいくと、野球のボールが一つ、また一つと出てきました。最初は、茂みに入ったボールが見つからなくなったのだろうと思っていましたが、最終的に10個ものボールが出てくると、何だか別の意味があるように思えてきました。
 月桂樹には、「勝利」や「栄光」といった意味があります。もしかしたら、過去に野球を愛する子供たちが、勝利を願って根元に埋めたのでは?と思えてきました。調べると、真偽は定かではありませんが、祈願成就のために月桂樹の葉の裏に願い事を書いて燃やすなどの方法もあるそうです。
 ひび割れたボールの傷み具合をみると、ずいぶん前のボールのようです。再利用が難しそうなので、勝利を祈った子供たちを想像しながら、ボールを月桂樹の根元に埋め戻しておきたいと思います。

 

 教育活動に支障がでにくい夏休み期間は、学校設備の工事や点検が相次ぎます。今日も、午前中に浄化槽設備の点検や整備によって、断水になりました。また、換気扇の安全性を高める修繕も始まりました。子供たちがいない学校は、静まりかえっているので、点検や修繕などの来客があると少し生き返る感じがします。

 

R6..7.24_表札訪問

 夏休み期間入り、各学級担任が子供たち一人一人の自宅を表札訪問しています。緊急時の迅速な対応ために、自宅の位置や通学路を実際に目で見て確認しました。地域の公園やお店など、放課後や休日に子供たちが遊ぶ範囲なども合わせて確認しました。情報は教職員間で共有し、緊急時や生徒指導の際に生かしていきたいと思います。